小泉孝太郎とムロツヨシが行った店!鹿児島・夫婦露天風呂の宿 吟松の「黒豚しゃぶしゃぶ」

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小泉孝太郎とムロツヨシ自由気ままに2人旅

鹿児島県にある「夫婦露天風呂の宿 吟松」は、自衛隊の中にある食堂です。

9月22日(水)の「小泉孝太郎&ムロツヨシ 自由気ままに2人旅」は、3時間スペシャルで放送されました。

夫婦露天風呂の宿 吟松

指宿にある「夫婦露天風呂の宿 吟松」は、温泉が流れる温泉卓で食事ができます。

黒豚しゃぶしゃぶ

「黒豚しゃぶしゃぶ」は、鹿児島の黒豚を使っています。軽く湯通ししてから頂きます。

竹酒

「竹酒」は、竹筒の中に焼酎を入れて温泉で温めています。

さつま揚げ

「さつま揚げ」は、目の前で揚げてくれます。できたてを食べることができます。

小泉孝太郎とムロツヨシ

鹿児島県は、数多くの温泉や黒豚・さつま揚げなどグルメも楽しめる観光地です。小泉孝太郎さんの祖父の出身地です。

祖父の鮫島純也さんのルーツを知るための旅でもあります。祖母と駆け落ちをした純也さんの過去を探ります。

祖父・鮫島純也のルーツ

純也さんは、万世町の出身で生家の跡地が残っていました。万世小学校を卒業。校庭には胸像がありました。

公民館では、祖父・父・曾祖父による書が飾られています。純也さんは9人兄弟の8番目に生まれました。純也の父は、会社の倒産により工場に勤めることになります。

純也は父親のために工場に弁当を届けます。ところが11歳のときに父親は亡くなってしまいます。その5年後には母親も亡くなります。

16歳の時には、呉服店で働き夜間の高校に通います。この頃には政治家を目指します。代議士・岩切重雄の書生になる。

その頃に祖母・芳江さんと出会います。彼女は、立憲民政党の幹事長・小泉又次郎の娘だった。大反対の末、2人は駆け落ちします。その後、表参道の同潤会アパートで同棲します。

その後、又次郎は代議士になることを条件に2人を認めます。純也は婿養子に入り、代議士としても当選します。

父・小泉純一郎への思い

1942年、長男・純一郎が生まれます。又次郎の死後、選挙区を鹿児島から神奈川に移します。1964年、防衛庁長官に就任しました。

1969年、肺がんで亡くなります。純一郎は留学先のイギリスで訃報を聞きます。遺品の中から1枚の色紙を見つけます。必勝、小泉純一郎君。父の思いが込められた色紙でした。

1972年、小泉純一郎は衆院議員に当選します。その後、総理大臣を務めることになりました。

(記事内画像出典:食べログ

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